気まぐれ日記 2013年11月

2013年10月はここ

11月1日(金)「今年度27日目の有休・・・の風さん」
 先月は1日も有休をとらなかった。10ケ月で26日も有休をとったのに、1日もとらなかったとは快挙だ。
 しかし、今月は3日とる予定がある。その1日目が今日だ。
 多忙な私は今朝の2時半にぶっ倒れていた書斎の床で目覚め、以後ずっと起きている。角倉研究会へ送る原稿に取り組んでいたのだが、結局できなかった。とりあえず結論と構成案を書いた下書きを送って、あと10日欲しいとメールを書いた。
 約束通り9時半に地元の法人会がやって来た。今日は、私が提案した写真を撮る日である。
 カメラマン含めて3人で有料道路を南下した。天気は行楽日和の快晴である。
 光明寺、別名寅薬師に算額があった。現存する算額としては日本で4番目に古いものである。当地へ越してきた20年ほど前、1度訪ねて算額を見た記憶がある。しかし、それ以前に県の文化財に指定されていたので、今日撮影するものと同じで、レプリカだったかもしれない。
 小さいけれども立派な山門の脇にクルマを停めて、中へ入った。
 横長の算額はやはりレプリカだった。しかし、大地主が奉納した算額らしい重厚な雰囲気を再現していてなかなか見ごたえがあった。その前で写真も撮ってもらった。これが雑誌の表紙を飾ることになるといいのだが。
 午後から別の原稿に着手した。これも昨日が締め切りだったのだが、5日まで伸ばしてもらった原稿だ。
 しかし、睡眠不足で頭が回らなかった。
 そのボーッとした頭脳のまま、学資ローンの繰り上げ返済の処理方法について問い合わせ電話をかけた。折り返し電話での回答があったのだが、今一括で返済すれば、返済総額よりも1割近く減ることが分かった。それはありがたいが、まだその資金(退職金)が振り込まれていない。間に合うだろうか。
 夕方、兄夫婦が福島からクルマでやってきた。明日は亡き母の一周忌である。

11月2日(土)「母の一周忌・・・の風さん」
 昨年末の四十九日の法要の再現だった。あれからほぼ1年近い月日が経過したことになる。
 50歳のときには両親は健在だった。兄が60歳で、私は記念すべき年だと思い、何らかのお祝い事をしたかった。両親に感慨にふけってもらいたかった。子供としても親の恩を思いっきり感じたかった。しかし、1日があっという間に暮れていくように、その思いは具体化されずに、年が明けてしまったのだ。
 まさか10年後に両親とも失っているとは思わなかった。
 自分の目の前のことをこなしていくのに精いっぱいで、気が付いたときは、いて当然の存在が消失していた。
 孤独感はじわじわと迫ってきた。
 法事と並行して、時間をかけて遺品整理をさせてもらい、気持ちの整理をしようとした。
 しかし、胸の中の寂寥はかえって重く大きくなっていった。
 昨日福島から到着した兄夫婦が滞在先のホテルから喪服に着替えてやってきた。
 義父母と義妹夫婦も来てくれた。
 我が家族は、最近はこういうときぐらいしかない全員集合だ。
 2匹の飼い猫が落ち着きをなくして右往左往している。
 お寺での法要にはだいぶ慣れた。そこで飼っている犬の人懐っこさがやけにいじらしく感じられる。
 読経を終えて一服した後、墓地へ移動し、卒塔婆を立てて焼香した。
 せっかくの機会なので、今日は、私の書斎を公開した。人を入れられるほど片付いていることなどほとんどないからだ(荷物はあちこちへ避難しているだけ)。
 この書斎は作家の専用空間だったが、今後は、死んだ両親を含めて家族のための空間にもなっていく。
 近所の料理屋でにぎやかに昼食を摂り、再び我が家に帰ってきたが、疲れを感じたのは、私も弱ってきたせいか。超多忙が長く続いているので、そのためだと思いたい。義父母義妹夫婦が帰って、酔いのためにうとうとしたが、兄夫婦が今日は疲れたからと晩御飯も食べずにホテルに戻って行った。
 次女は昼食の途中でバイトに出かけた。長女は明日の朝が早いので帰って行った。
 我が家には京都から帰ってきた長男と私たち夫婦だけになった。
 10年後を想像したくない夜が一気に深まっていった。

11月3日(日)「超多忙は続く・・・の風さん」
 今週も出かけるスケジュールが詰まっている。その準備がたくさんあった。
 朝食後、キャメロンを飛ばして買い物に行ってきた。秋田へ持っていくお土産を買ってきたのだ。
 それから東京で講演をするための最小限の準備をした。特に今回用意したのは、拙著を会場で販売するためのチラシだった。このアイデアは出版社からの入れ知恵で、講演の中で反感を買いそうなPRをしなくていいので、飛びついたのだった。200枚カラー印刷した。
 あと、締め切りを延ばしてもらった原稿の執筆に専念した。
 とうてい無理と分かっているほど原稿の量がハンパではなかった。それでもパソコンに向かって打ち込んでいくのは、精神的につらかった。
 明日は出勤日だが、再雇用で再び手に入れたフレックスタイムを最大限に生かすつもりだ。
 兄夫婦が無事に福島に着いてホッとした。さすがに兄貴もロングドライブが厳しくなっているように見えたからだ。
 ワイフの誕生日も赤飯で祝った。

11月4日(月)「締め切りを延長してもらった原稿は未完成・・・の風さん」
 振替休日だが会社は普段通りだ。
 しかし今日はコアタイムだけ勤務して、遅れている原稿の追い込みに集中することにした。
 原稿を書きながら、明日の池袋での講演のための準備をし、明後日の秋田行きの準備もした。持参するキャリーバッグが違うのでできる芸当だ。
 明日のキャリーバッグには販売用の拙著が入っていて重い。主力は出版社から会場へ送ってもらっている。あとはMacBookAir。
 明後日のキャリーバッグには友人たちへのお土産が詰まっている。出張で訪問する先へのお土産は手持ちである。パソコンは持っていかないが、iPadmini、デジカメを持参する。
 明朝の出発が早いので、早く寝たいが、少しでも原稿を進めたいという思いもあって、就寝は遅くなった。
 原稿ができなかったことをお詫びしながら送ったメールが、喉に刺さった魚の骨のように胸の奥に引っかかっている。

11月5日(火)「今年最後の講演・・・の風さん」
 最寄りの駅を5時55分に出る電車に飛び乗った。名古屋まで乗り換えがないので、せっかくJINSのメガネをかけていたが、ずっと居眠り状態だった。
 名駅構内のスタバでホットコーヒーのショートを買って新幹線に乗り込んだ。
 新横浜まで今日の講演の参考図書を読んだが、わずかしか進まなかった。本来、昨日までに読み終えておくべき本だった。私の人生はいつもこういった未消化の繰り返しだ。そして、時間をかけて挽回していく。ウサギとカメで言えば、カメである。東北人の粘り強さだと虚勢を張ってきた。せめて虚勢でなく意地の方がよかったのだが。
 横浜線と東急東横線を乗り継いで池袋に着いたのは、午前10時半近かった。最後は地下鉄の駅に着いたので、目的地のホテルメトロポリタン池袋までは遠かった。
 すぐに持ってきたチラシを配るようにお願いし、控室で出版社から送ってもらった30冊の本にサインを始めた。事務局の人や今回の特別講演に私を選んでくれた委員長と作業をしながら雑談した。委員長とは初対面だったが、気さくな方で、打ち解けて話ができた。昼食も一緒に摂ることになり、話は尽きなかった。
 昼休み中に持参のMacbookAirと会場のプロジェクターの相性の確認をした。全く問題なかった。
 午後は、講演スライドの復習をした後、私の前の学生発表を聴講した。ほとんど大学院生の発表だったが、昔の自分と比べて、今の人たちは上手だと思った。
 小休憩後、私の講演の時間がやってきた。もう何度もやっている内容なので、リラックスして話せるのだが、聴講者の特殊性を考えたら、もう少し念入りな準備をしてもよかった。しかし、かなり詳細なレジュメを配布しているし、年明けには講演内容が原稿になって機関誌に掲載されるので、とりあえずOKとしよう。
 それにしても、最後の方になると疲れが出るなあ。スピードがダウンするし、マイクを上手に使えなくなる。情けない。
 しかし、懇親会のときに、面白かった、勉強になったと声をかけてくださる方がいて、救われる思いがした。
 今日は、わざわざ姓名判断の南山誠林さんも来てくれたので、色々な人に紹介できた。
 話に夢中で、立食式だったこともあり、ほとんど飲食できなかった。
 帰り際、受付をチェックすると、私の本が売れ残っていた。事務局の人の置いて行ってくれという言葉に甘えたが、明日と明後日で完売できるだろうか。不安だった。
 帰りの新幹線でも半分寝ていた。
 帰宅は午後11時を過ぎたが、明日も朝が早い。

11月6日(水)「秋田国際教養大学・・・の風さん」
 実に穏やかな陽気の朝が明けた。
 ワイフにセントレアまで送ってもらった。
 2ヶ月前、還暦同窓会に出席するため午後の便で秋田へ向かったが、今日は朝の8時発である。会社の出張だった。
 同行の3人は夕方の便で帰ってくるが、私は今夜は秋田泊だったので荷物が多かった。
 その荷物を受け取るために秋田空港で手間取ったのではいかにも申し訳ない。それで、インターネットで調べた宅空便というのを利用することにした。到着地で手荷物をすぐ受け取らなくても、指定のホテルなどに運送しておいてくれるシステムである。ビジネスマンには重宝なしくみである。
 ところが、航空会社のカウンターで申し込むと、秋田空港ではそのサービスは翌日配送になるという。それでは意味ないではないか、と食い下がってみたが、どうしようもなかった。「じゃあ、飛行機の到着が遅れたら、わざと受け取らないで空港を出発し、あとで電話で、受け取るのを忘れました。夕方、再び空港へ行くので、それまで預かっておいてください、と言うよ」とおとなげないセリフを吐いて、とりあえず荷物を預けた。
 秋田便は予定通りに着きそうだったので、同行の3人にはひたすら謝って、到着時に預けた手荷物を受け取るまでの時間をくださいと平身低頭お願いした。
 今日は鳥海山がよく見えた。
 空港には高校の後輩で秋田県庁の職員が迎えに来てくれた。
 午前中は秋田大学へ行き、あきたアーバンマインマイスター養成コースの話を聞いた。
 この近くに3年間暮らしていたのだが、もう40年以上も前のことだ。光陰矢の如し。
 続いて、秋田県庁へ移動し、秋田国際教養大学設立当時の詳しい話を聞いた。なぜこんな素晴らしい教育機関が秋田に誕生したのか。当時の中嶋学長(元東京外大学長)の熱い想いが反映された大学が誕生したのだ。
 昼食後、いよいよ今日の最大の目的、秋田国際教養大学の見学である。
 入学して1年間は全員入寮。しかも留学生と相部屋。授業はすべて英語。在学中に1年間の海外留学(30単位を取得してくること)を義務付けという、なかなか厳しい大学で、もうひたすら勉強と異文化の受容に努めるしかない。そのため、洋書が7割以上という図書館は、365日24時間オープンである。
 就職率が100%というのも納得である。
 若ければぜひ入学したい大学だ。
 しかし、国際教養人の卵としては合格だが、それだけで仕事ができるほど世の中甘くはない。専門的なスキルのない卒業生がはたして社会でどれだけ通用するか、まだ5期生までしか出していないため、評価は難しいとのことだった。
 空港で同行の3人を見送った後、私はレンタカーを借りて秋田市内のホテルへ向かった。
 前回も宿泊したホテルである。
 午後6時半から同級生が準備してくれた高校の還暦同窓会の3次会の続きをやった。
 少人数でじっくり話ができたので、最高に楽しかった。飛び入りの中学の同級生もやけになじんで楽しんでいた。

11月7日(木)「中学の同窓会の続き・・・の風さん」
 一夜明けたら、雨が降っていた。2ヶ月前の同窓会から帰る日とよく似ていた。
 レンタカーで由利本荘市へ向かったが、途中のコンビニでジャンプ傘を買った。
 日本海沿いの7号線を南下したが、海は波が押し寄せていて荒れていた。
 算額があるという住吉神社に着いた。傘をさしてぬかるむ地面を歩いて小さな本殿に向かったが、扉には南京錠がかかっていた。仕方なく、階段のところにいた黒猫(我が家のちび助そっくり)の写真を撮り、その後、神社の電話番号へかけてみた。算額の見学の相談をしたのだ。すると、電話に出た人は、体を悪くして対応できないので、宮司に相談してくれと電話番号を教えてくれた。ただし宮司の家は遠いという。おそらく電話に出てくれた人は、ここの元宮司なのだろう。
 次回来た時に見学することに決めて、次の目的地へ向かった。同級生が校長をしている近くの小学校である。
 今日は学校公開日とかで、遠慮なく授業風景を見学させてもらった。昔と違って、さまざまな授業スタイルだった。低学年の教室で、音楽に合わせて児童たちがモダンダンスを楽しく踊っているのには驚いた。まるでタレント集団である。
 そこへ中学の同級生4人が合流してきたので、皆で近くのホテルのレストランにランチを食べに行くことにした。
 雨は小降りになっていたが、肌寒く感じた。
 市内で最も高いところにあるというレストランで日替わりランチを食べたが、同級生との話が最高のごちそうだった。
 在学中は同じクラスになったことがない友達もいた。2ヶ月前の同窓会が初対面で、今日は2回目みたいなものだった。それでも長年の付き合いだったようになれるのは、やはり同窓生だからか、それとも相性がよいのか、もしかすると両方かもしれない。人生は常に意外性があり楽しい。しかし、こうなると、すぐ会える距離に住んでいないのは寂しい。
 窓から遠く日本海が望めたが、ときおり雨のために視界が悪くなった。
 シンデレラボーイの私の帰る時刻があっという間にやってきた。
 名残惜しかったが、来年1月の再会を約束してふるさとのような土地を後にした。
 天候は来た時よりも悪化していた。
 レンタカーを返却し、空港で土産物をたくさん買い込んで満足した私は飛行機に乗り込んだ。
 2ヶ月前と同様に飛行機の発着が危ぶまれる天候だったが、何とか定刻に遅れながらも無事にセントレアに着いた。
 迎えに来たワイフと軽く夕食を食べてから帰宅した。
 前回同様、話すことは山のようにあった。

11月8日(金)「ビルシュタイン・・・の風さん」
 今朝、家を出る前にキャメロンのエンジンをかけるのが少し不安だった。
 4日(月)の帰宅時に、有料道路から一般道に出たところから異音がし出した。クルマの後部からで、アクセルを吹かすと連動して音が大きくなった。排気系統に何かが起きたのだ。
 こういった不安は前からあった。
 とにかくサスが硬い。小さな道の凸凹が車体から私の体まで忠実に伝わる。こうなると、車体が先にダメージを受けるか、私の体が先に損傷をこうむるか、どちらが先でもおかしくないと思っていた。
 4日前は、いちおう無事に帰宅できたし、夜中にキャメロンを詳細にチェックするほどの余裕もなかった。
 あれからキャメロンのエンジンはかけていなかった。
 異音は再発した。有料道路を高速で走行するのが怖いような、脆さを感じる、振動もともなった音だった。
 しかし、無理無茶無謀が私の特徴なので、有料道路にのった。
 本社に寄って、研修所に行く途中、カリチューに寄ってキャメロンを預けた。
 夕方、代車のマークUでカリチューに寄った。
 マフラーを吊っていたステーの溶接部が外れて、マフラーに穴があいていたのだそうだ。
 社長自ら再溶接してくれたとのこと。
 ここまで硬いサスのクルマの運転を十分楽しめたので、もっと柔らかなサスへの交換をほのめかしたら、思わぬ返答があった。
「ビルシュタインから普通のサスへ交換するんですね?」
「え? ビルシュタイン? ドイツの?」
「はい。黄色が特徴のビルシュタインのサスが使ってありますよ」
 それを聞いて交換する気がなくなった。

11月9日(土)「バカは死んでも治らない・・・の風さん」
 また雑務が山のようにたまってしまった。そのため、重たい仕事に手をつける気になれない。今日は終日その雑務の山崩しをすることに決めた。
 ということで、特筆すべきこともないので、最近始めた(人生で考えれば、もう何度となく始めては中断し、ふと思い出しては再開していることだが)習慣がある。英語の勉強の一環で、久しぶりに文法のおさらいをしている。
 一度に一項目だけおさらいできる本を引っ張り出して読み出した。もちろん昔読んだ本だ。小さな英和辞典も並べているので、忘れた単語はすぐ確認もできる。
 意外と面白い。
 だんだん人生の残りが少なくなっているのに、今頃こんなことしていていいのか、とも思うが仕方ない。性分(しょうぶん)だ。きっと棺桶に入っても何か本を抱いて(抱かされて)いるだろう。

11月10日(日)「今週末も原稿ができず・・・の風さん」
 とうとうまた自分で決めた原稿の締め切りがやってきた。
 覚悟を決めて、朝食後、他にやりたいことがあっても我慢して始めた。
 そういえば、1週間前もこんな状態だった。
 執筆はかなりの集中力を必要とする。なので、1時間半から2時間ぐらい続けたら、必ず小休止する。
 そうやって、昼食も食べ、夕食も終え、深夜に及んできたが、とても完成にはほど遠かった。
 午前3時で、もう無理、と諦めた。徹夜で朝までやってもゴールに到達しないことが明らかだったからだ。
 事務局へごめんなさいメールを送った。2度目である。1週間の猶予を求めた。
 きっと返信は来ない。気の毒だと思うに違いない。

11月11日(月)「バタバタと忙しい・・・の風さん」
 3時間だけ睡眠をとって出社した。
 30分の早出で、すぐに仕事に着手。先週の出張報告をパワーポイントスライドにした。途中までやってあったので、完成させたのだ。全部で40枚。
 10時からの会議の終わりころに、10分程度で簡単に報告した。ホッと一安心。
 続けて、14日に行われる防災訓練の打ち合わせに出席した。課題が多く、不安だ。私が班長をしている誘導班のシナリオはまだできていない。
 午後になって、そのシナリオの作成に着手した。
 毎年やっていることだが、今年はさらにやることが増えたため、シナリオ作成もやっかいだった。
 まさかの残業になってしまい、夢中でやっていたら、ワイフから帰宅メールが入った。
 重い荷物を持って電車で名古屋へ出かけていたので、駅まで迎えに行く必要があった。
 シナリオ作成を途中で放り投げて退社した。
 有料道路を猛スピードで突っ走らなくても何とか間に合った。私を追い越していった愚か者が、直後に、覆面パトにつかまっていたので、私も少し危なかったのだ。
 夜は社内報に寄稿する原稿の中に掲載する図表の作成に手間取った。

11月12日(火)「思わぬ出張の機会・・・の風さん」
 今朝も睡眠3時間で家を出た。
 本社の会議に出席するため、早めに出発する必要もあった。
 その会議で、急に来週末横浜へ出張することが決まった。翌日、作家としての活動が東京であるため、往復夜行バスにする予定だったが、週末の横浜泊を決めた。
 ま、それはともかく、本社での会議で、昨日研修所でやった出張報告をした。貴重な情報なので、できるだけ多くの人に伝えたいと思っていたが、それがかなった。
 帰りに元部下の席に寄って(不在だった)、秋田土産を置いてきた。洒落を含んだ品物だが、分かるかな。
 午後に、誘導班による防災訓練のリハーサルをやった。シナリオはいちおう作ったが、ハプニングが起きる可能性が高いので、臨機応変に、しかし自然で力強く行動するようにお願いした。
 今日も残業になってしまったが、フレックスタイムになったので、残業ゼロにするのはなかなか難しい。
 執筆を中断している某出版社とも久しぶりに連絡を取り合った。来年早々、仕事を再開したい。

11月13日(水)「研修の本質的な問題・・・の風さん」
 家でも仕事が遅れていて、就寝時刻が遅くなってしまう。
 昨夜というか今朝も午前3時ころの就寝になってしまった。
 最近急激に冷え込んできていることは知っていたが、早くも未明の恐怖を味わうことになってしまった。
 寒さで全身が凍えたようになり、体が震え、胸が苦しくなるのだ。
 死んだ父は冬の寒い朝、洗面所で心不全であの世に旅立った。そのときの状態が自分にも起きかかっているだと思う。
 あるいは亡父のあの世からの警告かもしれない。
 しかし、どうすれば対策がとれるのか。
 やはり規則正しい生活をするべきなんだろうな。
 研修所の午前中の会議で、ドッキリするような議論になった。技術者の会社の仕事がうまく行くようにサポートするのが研修所の仕事だろう。だが、会社の仕事のやり方に問題があるとき、研修はどうあるべきかということだ。
 現在の仕事のやり方に問題があっても、会社として選択した姿であるなら、あくまでもそのやり方を「是」としてサポートすべきなのか、それとも、本来のあるべき仕事のやり方に戻れるようにサポートすべきなのか。
 皆が抱いている共通の疑問だった。これは根が深い、本質的な問題である。しかし逆に、仲間が同じ問題意識を持っていることに私は喜びと感動を覚えた。
 午後、昨日に続いて誘導班だけの、防災訓練のリハーサルを行った。基本はとっさの事態に対する応用動作、である。
 夢中になっている私に指摘する人がいた。
 「白目が真っ赤ですよ」
 たまに起こる結膜下出血だった。やはり体のどこかが異常なのか。

11月14日(木)「執筆前に体力消耗・・・の風さん」
 1時間遅れのフレックス出社。マネジメント職の時間管理はゆるいが、休みなく働けというのと同じなので、やはりフレックスタイム制はそれなりにありがたい。自由とはいっても、ある制限の中での自由が安心感をおぼえるからだろう。
 午前中、慶応大学のセミナー
 午後から防災訓練があった。あるシナリオに基づいて我々は待ち構えていたのだが、とんでもない仕掛けが用意されていた。
 通常、職場防災隊が結成され、我が誘導班が研修所内へ散って待機している受講生らを2次避難場所へ誘導するのだが、その途中で、火災や怪我人を発見することになる。訓練はそこからの応用動作が試されるのだ。
 ところが、今回は違った。
 防災隊が結成される前に、火災も怪我人も発生したのだ。
 職場の責任者が「防災隊を組織するのでロビーに集合せよ」と叫んだ直後には、事務室内に運び込まれていた怪我人役のダミー人形が発見されたし、事務室から出たとたん火災発生場所から人が走ってきて「火事だ!」と叫んでいたのである。
 本番さながらの行動となった。
 (以下略)
 訓練が終わってまもなく自分で主催した会議をこなし、それが終わると本社へ移動して、旧職場の同僚と打ち合わせた。
 最近急激に寒くなって来たので、帰宅途中で今年初めての灯油を購入。
 帰宅して夕食前の慌ただしい時間に(午後8時近かった)、某電信電話会社が光通信のセールスにやってきた。
 ワイフがてこずっていたので、私が登場。熱意あふれる若い営業マンだった。玄関内に招き入れ、まじめに対応したため、相手も真剣に見積もりを始めた。
 固定電話と携帯電話、それにケーブルテレビやインターネット、これらがどのような組み合わせで利用されるかで、毎月の通信費用は変化する。技術の進化と会社同士の提携関係の変化によって、最適解は不変ではない。そういう事情を知っているので、どのような相手に対してもまじめに対応しておくのが安全である(笑)。
 説明と交渉そして見積もりの終盤になってきて、若者は急速にパワーを失ってきた。最初は自信があったようだが、我が家の現在の契約は、それなりに強固な低コスト体制になっていたからだ。
 執筆がいろいろと遅れている。頭の痛い話だ。しかし、こんな毎日を送っていて、原稿もすいすい完成していたら、私は化け物に違いない。幸いというか残念というか、生身の私は、今夜も執筆がはかどらず、書斎でダウンするのである。

11月15日(金)「今年はめんどうな年末調整・・・の風さん」
 今日も1時間遅れのフレックス出社。たまってしまったマイナス勤務時間は来週挽回することに……。
 年末調整のため、保険料控除の書類提出の時期である。微妙なタイミングで定年退社になり、再雇用されたので、これらの書類入手あるいはデータ取得が、これまで30年もの間繰り返されてきた手順と同じというわけにはいかなくなった。
 某地震保険の資料が、昨夜、ひょっこり自宅で発見されたので、今日、2次提出に間に合わせるべく持ってきた。
 そして、これまで給与天引きだったのが、勤務先の変更もあって(実は契約内容も還暦に合わせて見直していたが)データの移行がスムーズにいかず、保険会社にお願いして早めに証明書をもらわねばならなくなっていた。
 昼休みに、わざわざ研修所まで、保険会社の外交員が持ってきてくれた。
 それを合わせて会社へ出して、この仕事は終了した。
 今年前半に起きた面白いことと似たことが、最近また発生した。
 インドで一流の大学の学生が、私の英語の論文を読んで感銘を受けたので(このへんは当然リップサービス)、私の下でインターンシップを経験したいというのである。もちろん、それが実現した先には、うちへの入社というオプションがあるに決まっている。しかし、そういう下心を批判することはできない。人口増加に経済発展が追いつかないほどのインドである。かの地の生存競争は厳しいのである。
 しかし、グローバルなインターンシップは、まだ障害が多いのが事実だった。
 同僚と相談して考えた、返信の英文を定時前までに完成させた。このあと英文は同僚が添削してくれる。
 帰宅したら、秋田の友人からきりたんぽセットが送られてきていた。ダシだけでなく、比内鶏の肉からごぼう、セリにいたるまですべてそろったパッケージである。つまり、水以外はすべて秋田産のきりたんぽが食べられるのだ。
 夢のような贅沢ができるようにプレゼントしてくれた友人の住む秋田の方へ向かって感謝の一礼!

11月16日(土)「1日かけて12か月点検・・・の風さん」
 そろそろ時間的な余裕ができているはずだった。いや、できていて欲しかった。
 しかし、現実は甘くなく、組み込んだスケジュールは次々に目の前にやってくる。
 本来、7月にやらなければいけなかったワイフのアクアの12か月点検の予約日が今日だった。
 二人でアクアに乗ってカリチュー(入社以来付き合っている中古車屋)へ向かった。雲一つない青空で行楽日和だが、これは行楽ではない。が、楽しまなければ損だという思いも強かった。多忙な人は、仕事を楽しみに変えるのだ。
 代車を借り、途中で10リッターだけ給油して名古屋へ向かった。こういうタイミングならできそうな買い物が目的である。
 何年かぶりにワイフと栄に行き、混雑したパーキングにやっと代車を置いて、目的の買い物は短時間で終了した。
 ちょうど時分時(じぶんどき)だったので、テレビ塔でランチにすることにした。
 猿カフェがあった。偉そうに猿カフェと書いたが、今でも猿カフェの意味はわかっていない(笑)。
 昔の大衆食堂か喫茶店で出てたようなランチだったが、まあ、うまかった。千円未満だから文句はいえない。
 イベントパークでやっている太鼓の大会を見物した。バタバタした生活を送っている私には、太鼓の連打もやけにのんびりと聞こえた。
 刈谷にもどったが、点検は終わっていなかったので、スーパーに寄って時間をつぶした。
 こうしてやっと帰宅したときはもう夜で、今日届く予定だった現金書留は、受け取ることができなかった。私たちが出発したときまだ家にいた次女も受け取ることはできなかったのだ。
 昨日届いたきりたんぽを、ワイフと二人でまず半分食べた。最高だった。
 きりたんぽを堪能した後は、現実の問題である。今週も執筆に使えるのは明日だけとなった。

11月17日(日)「町の大規模防災訓練・・・の風さん」
 貴重な執筆の日だったが、朝から出動しなければならないことがあった。
 住居地である町の大防災訓練である。県が協力して、防災ヘリまで飛んでくるという大イベントだった。
 ワイフは今日もトールの教室があるので、真剣に参加できないから私に行けという。どこへ行くかというと、指定された屋外避難場所である。災害はやはり大地震が想定である。各地域の高台が2次避難場所となっていた。
 予定された時刻になって、災害発生を告げる放送が地域に流れた。
 石油ストーブを消して、ワイフと真剣にテーブルの下に身をひそめた。
 上空でヘリが飛んでいる音がする。
 我が家の2匹の飼い猫(ペコとチビ助)が、何事が起きたのかと、こちらの様子をうかがっている。
 タイミングは変だったが、地震発生を予告するケータイの鳴動まで起きたのだから、県と町の本気度を感じた。
 その後、私ひとりで、近所の公園に行ったが、既に多くの家族が集まっていた。
 受付で安否の報告をし、参加賞のアルファ米をもらって帰宅した。
 昼寝をはさんで執筆を続けたがはかどらなかった。老化と疲労は執筆には厳禁である。
 夜遅く、長女が名古屋からやってきた。母の最初の祥月命日となる明日、墓参をするためである。
 疲れ切っていた私は、ソファで倒れていて、長女の帰宅に気付かなかった。

11月18日(月)「キャメロンの排気系がまた故障・・・の風さん」
 再発したキャメロンの異音の原因を特定するため、昼休みにカリチューへ行った。
 ボンネット内に原因がないことを確認した後、タンデムタイプのリフトで空中に持ち上げたキャメロンの下回りを、ライトで照らしながら探索。まもなく、フロントパイプの途中に円周方向にパックリ入った亀裂を発見。
 先の破壊部分が修理されて強くなったため、次に弱い部分が一気に破壊したのだろう。
 明日、修理してもらう約束をして帰社した。
 速攻で帰宅し、昨夜から帰省している長女を交えて、きりたんぽを食べた。今夜は、油揚げで餅をくるんだものや、糸こんにゃく、地元の舞茸などをまぜて地元色を加えた。
 今週末こそある原稿に目途をつけようと、わずかな時間しかなかったが手をつけた。

11月19日(火)「キャメロンの修理完了・・・の風さん」
 カチューシャがヘアバンドの一種と知ったのはいつの頃だったろう。
 当然子供の頃で、音感から「風車」と「水車」を思い起こして「火中車」って何だろう、と思った。とんでもない知識をもっていたなら「タービン」のことかと思ったかもしれない。
 最近、シュシュが髪をたばねる装身具の一種と知った。還暦過ぎても知らないことばかり。これからは忘れていく方が多いだろう。やれやれ。
 出張のための切符を受け取りに本社に行った帰りにキャメロンを預け、帰宅時に修理の終わったキャメロンを受け取った。
 排気音がおとなしくなると共に、不安定だった出力も安定した。
 帰宅したら、楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。
 講談社青い鳥文庫『黒田官兵衛は名探偵!!』である。来年の大河ドラマの主人公だ。はや。
 昨夜に続いてきりたんぽ。
 堪能した。

11月20日(水)「忙しい私の客観的姿・・・の風さん」
 昨夜の睡眠時間は約2時間。自殺行為かもしれない。
 来年の前期も後期も愛工大大学院の講義をやって欲しいという依頼が届いた。ありがたい話だ。亡き恩師の講義の継承なので、これは恩返しの一つでもある。
 お世話になっている数学の先生の本の内容に、知人が疑問を呈していることがある。先生は超多忙で回答できないでいる。実力もないのに、でしゃばって、自分なりに回答を考えてみた。
 できそうな気がした。
 それで、会社の同僚に、私の回答が正解かどうか、検証をお願いしてみた。
 すぐに返信がきた。忙しい私がそんなことまでやっているのか、と驚いていた。
 確かに。他人の方が、私の状況を冷静に見て意見を言える。
 遅れている2つの原稿は、どちらも共著になる。そのうちの1つは、私以外の執筆者は予定通り原稿を書き上げているらいい。私だけが遅れて、皆に迷惑をかけているという最悪の構図である。
 再雇用によってフラックスタイム勤務となった。この制度の注意点は、私生活を優先していると、勤務時間が規定よりも少ない状態のまま推移することである。
 今日までマイナス状態だったので、2時間残業してゼロに戻した。
 忙しいのに何やってんだか。

11月21日(木)「余生の設計・・・の風さん」
 定年退職後のわずらわしい事務手続きが続く中(詳細は省略)、来年度へ向けた準備も同時並行で少しずつ進めている。
 それらの中で、自らのアイデンティティの確立が最も重要である。
 昔は(高度経済成長時代)、定年退職は立派な勲章だったと思う。その後は、悠悠自適ながら趣味やボランティアや家族へのサポートで、充実した余生が送れた。しかし、これからは違う。少子高齢化にともなう国内需要の低下、グローバル時代の到来、多様な価値観、ITによる猛烈なスピードアップetc.何を取り上げても、厳しい状況としか言えない。年寄りだけでなく若い人たちも大変である。
 しかし、だからと言って、今から新たな準備をしている余裕はない。これまで築いた土台の上に、これまでの延長線からやや勾配を下げたあたりに、自らを向けていく。そういった余生の設計が必要だ。
 現時点考えているのは、活動の中心は執筆と少し講演で、それらを支えるのが学術活動である。常に自らのコア知識の積み上げ、更新、見直しを続けていく中から、世の中へ提供すべき価値を執筆と少し講演を通じて奉仕していくことだ。
 勾配を下げる工夫は、第一に会社からの完全卒業となる。
 再雇用フェーズに入って、上司から期待されているミッションを聞き、合意している。完全卒業へ向けて、それらのミッションは確実に終えて行かねばならない。
 今日も、自ら開催した会議を運営し、明日の出張の準備もしながら、2時間残業して帰宅した。

11月22日(金)「急なミッション・・・の風さん」
 上司の代理といった位置付けで、横浜にある某社へ同僚たちと5人で出張した。
 先日の秋田国際教養大学訪問調査と趣旨は似ている。違うのは相手が学校なのか企業の中の教育部門なのかである。
 午後いっぱい先方の説明を聞きながら質疑したが、会社の置かれている環境はきわめてよく似ていて(つまり社員教育を考える前提条件がほぼ同じということ)、その解決策についてもこれまでかなりよく考えてきていることを感じた。
 総じて、出張の意味があり、収穫は大きかったということだ。
 しかし、その収穫を自社に反映できるかどうかは、また問題である。おそらくそれが今後の課題となるだろう。
 予定の時刻をややオーバーして、午後5時過ぎに終了した。
 同僚らと別れた私は、ここから新たな予定がある。
 今日の出張も、実は先週急きょ決まったことだが、今夜、これからおこなうことも昨日急に決まった仕事なのだ。
 初めて泊まる横浜市内のホテルにチェックインし、今夜合流する相手の東京到着を待った。
 やがて、到着メールがあり、私が指定する待ち合わせ場所、東京駅銀の鈴へ向かった。
 2時間あまり、旧職場の元同僚と飲食しながら交流した。会社の外だけでなく、遠く離れた場所で、しかもきわめてプライベートな雰囲気の中での交流の目的は、彼から色々な本音を聞き出すことにあったのだが、日ごろから私に対して抵抗をあまり感じていないため、一気に盛り上がってしまい、ただの懇親会になってしまった。
 私が常にそばにいてあげれば、彼の悩みも不満も怒りさえもいくらか落ち着かせることができるのだが、それができないために、旧職場では緊張感がいつまでもくすぶっている。
 発散できた彼とは反対に、やや重い足を引きずって、私はホテルへ戻った。

11月23日(土)「久々の東京での作家活動・・・の風さん」
 朝食付きプランだったので、早起きしてホテル1階のレストランへ向かった。
 安い料金ながらしっかり朝ご飯を食べることができた。
 予定の出発時刻前にiPadminiでメールチェックや午前中の打ち合わせのための予習をした。このホテルでも無線LANが開放されているので、iPadminiをiPhone5につなぐことなく利用できる。便利だ。こういったネット環境が整備されているのは、ソフトバンクの孫さんのお蔭に違いない。
 みなとみらい線の駅から渋谷まで直通で向かった。
 出版社との打ち合わせだが、非常にうれしい。ありがたい。持ちネタを希望する出版社で本にできる可能性があるからだ。ベストセラーにならないだろうが、文化遺産として価値あるものにできる自信はある。もしうまくいくなら、努力は惜しまないつもりだ。
 出版社は前向きに考えてくれるということだったので、それなら私も出版社の意向(つまりビジネスとして成立させるための提案)は極力受け入れます、と伝えた。
 既に、いくつかの提案があり、ビジネス上の理由だなと分かったが、即同意した。
 出版社と別れ、井の頭線で吉祥寺へ向かった。
 少し体力消耗気味だったので、簡素なステーキランチを食べた後、幕末史研究会の講演会場へ向かった。
 今日は、親しい高山みな子さんが講演者なので、久々に関係者の前に顔を出すことにしたのだ。
 咸臨丸子孫の会の小林賢吾さんと会うのも久しぶりだ。
 研究会の小美濃会長から来年の講演まで依頼されてしまった。
 懇親会では初めての人たちと親しく話ができた。正しい幕末史を研究しようという人がたくさんいるのはうれしいことだ。
 会社でもらった回数券を使うために、逆のコースをたどって、新横浜から新幹線に乗った。

11月24日(日)「角倉原稿の全体像が見えてきた・・・の風さん」
 毎朝電気カミソリを使うのが日課だが、外刃が壊れた。端から亀裂が入ったのだ。新品を買わなければならないが、決して安価ではないことを知っているので、また気持ちが落ち込みかけた。私は貧乏のどん底に向かっているからだ。
 非常に手こずっていて、毎週、出来たところまでを恥を忍んで送信しているのが、角倉研究会の原稿である。
 共同執筆者の先生方は皆その道の専門家だが、私はサラリーマン作家で、作品の専門性は高いが、専門家ではない。それが多くの専門家の中に入って、専門書の共同執筆者になろうという、身の程知らぬというか恐れを知らぬというか愚かというか、とにかくチャレンジャー精神だけの男である。
 今日も朝からひたすら耐えに耐えて執筆を続け、深夜、全体像が見える原稿がやっとできた。
 先週の完成度を50%と自己評価した私は、今週の完成度を70%とやや誇張して電子メールに書いた。
 来週の目標は完成度80%である。

11月25日(月)「不満とぼやき・・・の風さん」
 11月の最終週である。きっと今週も全速力で突っ走って行くことになるだろう。
 最終といえば、最後になるかもしれない会社の名刺をデザインして入手した。余計な肩書きを入れることを会社は制限している。それを、あえて理由をつけて申請したら全部ついた(笑)。3つも……。
 これはよかったのだが、不愉快なこともあった。
 退職にともなう大事な書類が社内メール便で届けられたのだ。社会常識的には自宅へ書留で送られるものである。再雇用で会社にいるとしても、上司経由で渡してもらいたい書類だった。
 先週の防災訓練の振り返りをやって昼食後の昼休み中に、キャメロンで銀行と郵便局に行ってきた。社屋内にないと不便だ。……どうも不満が多いな。
 ええい、もう帰宅時の話にしちまえ。
 大型電気店で電気カミソリの部品を、スーパーでレギュラーコーヒーを購入し、キャメロンに給油して帰宅した。
 今日はフレックスで30分遅れ出社、30分残業したので、勤務時間はプラスマイナスゼロだった。これからの人生、プラスマイナスゼロになるように調整して終わるのかなあ。

11月26日(火)「久しぶりの自由ヶ丘キャンパス・・・の風さん」
 精神的に低調だったせいもあるだろう。昨夜は夕食後、リビングでダウン。目覚めたのが今朝の3時半だった。
 出社して真っ先にやったことは、来年の本社会議室の予約だった。不運な日で、会社行事のために欲しい場所はことごとく押さえられていた。やむなく別ロケーションを確保した。
 その後、昼食をはさんで3つの会議が続いた。自分の報告もあって、他には何もできないまま、フレックスで退社。
 名古屋高速を利用して、自由ヶ丘キャンパスへ直行した。
 大野先生が入院のため京都へお帰りになる直前以来で、8ヶ月ぶりぐらいだが、もう大野先生はいらっしゃらない。
 来週からの非常勤講義について田村先生と打ち合わせた。充実した時間だったが、隣室の大野先生のお部屋がそのままだったので、胸が痛んだ。整理する時はぜひ一緒にと何度も提案したが、はたしてその希望はかなうだろうか。
 田村先生は豆から挽いたコーヒーを淹れてくれた。美味しかった。心のこもった深い味とコクだった。

11月27日(水)「固定資産棚卸し・・・の風さん」
 今朝の3時半に書斎で目覚めた。ピンチは今後も続きそうだ。
 もういい加減意思表示しなければ、と思ってS社の部長へ勇気を出してメールを書いた。
 出社して午前中にルーチンの有料道路料金の補助申請をし、午後から一昨日指示された固定資産棚卸し作業に着手した。
 私は平気だが、かつてマネージャーだった人間が、定年を境に、一担当の業務をするようになることは、どうなんだろう、と思う。職場が同じ場合が最も疑問に感じる。難しい世の中になってきたものだ。
 自分がセットしていた夕方の会議を延長して、棚卸しに集中したが、まだ先は見えない。

11月28日(木)「目力(めぢから)とテンカラ釣りの関係・・・の風さん」
 会社は棚卸し作業の続きから入った。
 午前中、寮の先輩で、今は人材活用(特にリタイアした人の就業あっせん)に関わっている方が来社された。
 私も今後の仕事は非常に関心のある話題で、とりあえず履歴書等を渡して、何かの折に利用していただけるようにお願いした。
 午後、本社経由で(元部下の部長をピックアップして)、愛工大八草キャンパスへキャメロンで向かった。
 目力(めぢから)トレーニングで有名な先生に部長を紹介するのが私の役目である。
 老化したというか退化したというべきか、弱っている目の力をトレーニングで向上させるのは、自然の摂理に反するように思っていたが、トレーニングの効果には個人差があり、特に若い人ほど効果があるという説明には納得した。
 少なくとも眼球を動かす力を向上させることが、目力の改善になることは理解できた。
 しかし、今日の特筆すべき出来事は、この先生が、実はテンカラ釣りで有名な先生であることは初めて知った。
 父子ではまっていたという部長は大喜びで、先生から最新のDVDを借りて凱旋歌でも歌いそうな勢いで帰宅した。
 一方、亡くなられた大野先生の研究室があった建物とここはきわめて近く、また胸が締め付けられる思いがした。

11月29日(金)「謝恩会を兼ねた忘年会・・・の風さん」
 もう月末である。追いまくられ続けて、ここまで来てしまった。このペースで行ったら、気が付いたときには死の病に伏していることになる。これではいけない。……と思って、日々、解決策を考えているのだが、凡人の私にはそれが見出せない。
 最終週ということで、フレックスタイムの調整も今日が最後である。
 朝から棚卸し作業をにらみつつ、月度報告をまとめ、昼食後、製作所へ会議のため向かった。
 余裕のない日だったが、出社時刻と退社時刻を調整して、日の高いうちにフレックス退社できた。
 帰宅して着替えて、比較的近くにあるホテルへキャメロンで向かった。
 今夜はそこで旧職場の忘年会がある。私(と元工機工場長)の退職謝恩会を兼ねていて、アトラクションも用意しているらしくだいぶ以前から楽しみにしていた。
 到着して、会場を準備している仲間に聞くと、部長も宿泊で参加してくれるという。これには驚くとともに、ありがたいと思った。ほぼ100%の参加率というのも、驚くべきことだった。
 2次会含めて午前零時まで懇親会が続いたが、部長には大切な元部下一人一人を詳しく紹介できた。特に期間従業員から正社員登用された人たちである。それが一番だった。
 心のこもったアトラクションにも感動した。仮装して踊ってくれた集団パフォーマンスは圧巻だった。私(と元工場長)の家を訪ねて取材した妻のビデオや手紙の朗読には、そこまでやるか、と恥ずかしさを通り越して脱帽だった(笑)。
 布団に寝そべったまま午前3時過ぎまで元部下と語り合った。
 私のデンソーでの34年間は幸福だった。その一言に尽きる。

11月30日(土)「ラジコンヘリ初体験・・・の風さん」
 部屋のカーテンを開けると、伊勢湾が目の前に広がっていた。青空の下、美しい海である。
 昨夜は飲んでばかりであまり食べていなかったので、朝食がすすんだ(ご飯を2杯食べた)。
 不思議と二日酔いでも寝不足でもなく、気分はよかった。
 早朝起き出して、近くの堤防で魚釣りを楽しんでいた同僚もいたらしいが、それぞれの方法で帰宅が始まった。
 マイカーの人たちは、アルコールチェッカーで「0.00」という数字が出るのを確認して出て行った。私も大丈夫だった。
 感謝と満足の気持ちを抱いて、午前10時前、キャメロンのハンドルを握った。
 昨夜退職記念にもらった世界最小のラジコンヘリ「ナノファルコン」のために、帰宅途中でアルカリ乾電池を買った。
 帰宅してすぐ「ナノファルコン」で遊ぶ準備を始めた。
 ラジコンヘリは初体験だったので、おっかなびっくりコントローラーを操作したのだが、何度も天井にぶつけては墜落を繰り返すので、壊れてしまうのではないかと思ったが、わずか11グラムという軽量さが、致命的なダメージにならないのだ。墜落とは言っても所詮加速度は重力加速度の1Gである。破壊力は質量掛ける1Gなので知れているわけだ。
 これから操縦を訓練して、飼い猫をからかうのが、私の究極の楽しみ方である。

2013年12月はここ

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